2007年08月07日

昨日のつづき

こんにちは、院長です。
さて、昨日の続きです。

私は南州神社の階段の近くに住んでいましたので、
南州神社は遊び場でした。
賽銭箱の下の隙間に手を入れて落ちたお賽銭を
また箱の中に入れたり…。(笑)

神社の裏道を探検したり、
子供しか通れないような獣道を通ったり
毎日が大冒険でした。

そんなある日、
ちょっと上るのが難しい斜面の上に小さな
芝生の広場があるところがありました。

いつものように膝を泥だらけにしながら上って行くと
人の気配があります。
おばさんが何かしています。

興味本位で近づき見てみると
桜島の絵を描いていました。
私は知ったような顔をして、「油絵だ!」と言いました。
すると、「クレヨンだよ」って言いました。

そうです、手にもっているのは自分たちが使う
クレヨンと同じものです。
描いているのが、紙ではなく布のようなものでした。
なるほど、布にクレヨンがひっかかって立体的な
筆使いに見えたのでした。

すごいな〜と思ってしばらく見入ってしまいました。
その時そのおばさんとどんな話をしたのか
覚えていません。
きっと自己紹介なんかしたのかもしれません。
その絵がとてもきれいだったことしか覚えていません。
どうして家に帰ったのか、何と言ってわかれたのか。

ただ、覚えているのは、
自分もいつかあんな絵が描きたいな〜。
と思ったことでした。

それ以後そこでそのおばさんと会うことはありませんでした。
posted by インチョウ at 16:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 自分史

2007年08月06日

夏休みの思い出

こんにちは、院長です。
毎日暑い日が続きますが、みなさんいかがおすごしでしょうか。

夏休みはとっても楽しいでした。
今の子供のように宿題はでないし、?
ひょっとするとしなかっただけ?
絵と作文と漢字と計算ドリル、夏休みの友
そんなところでしょうか?
夏休みの友なんか一日で終わらせて、
漢字と計算ドリルを機械的に4〜5日で済ませ、
あとは、一日中教育番組をみたり、虫取りにいったり、

絵を描くのは好きだったので、とても楽しいでした。

苦手なのは作文でしたね。(笑)

書き方がわからない。
ひたすら文字数を稼ぐために会話ばっかりの作文を
良く書きました。これって早く済ますコツですね。(笑)

去年書いた作文を今年も思い出して書いたり。(笑)

結構ズルもしてましたね。

こんなにほぼ毎日ブログを書いている私からは
作文嫌いが想像できないと思います。
本当に嫌いでした。

文章を書くのが好きになったのは、大学に入ってからです。

夏休みの思い出を書くつもりでしたが、よけいなことばかり
書いてしまいました。
実は書きたかったのは、小さいとき南州神社で出会った、
おばさんのことでした。明日書きます。
あんまり長文になると嫌われそうなので。(笑)
posted by インチョウ at 14:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 自分史

2007年06月25日

初めの記憶

こんにちは、院長です。
今日は自分史シリーズです。
自分の生活圏の初めて記憶に残った3歳頃のことです。

私は南州神社の階段の登り口のところに住んでいました。
3歳〜7歳くらいまでの4、5年です。
まわりには年上のおにいちゃんばっかりでした。

ちょうど私の家(間借り)の前に一銭店屋があり
通い詰めていました。しんこ団子が美味しかったな。わーい(嬉しい顔)

そのお店はしわくちゃで小さいおばあちゃんがやっていました。
目を怪我したのか一方が白いでした。
しかし、ちっともこわくなくやさしいおばあちゃんでした。

その家の庭には、柿の木がありました。
秋になると赤く色づき、木に花火がついているようでした。

私はどうしてもその柿が食べたくて、柿を拾いに行きました。
木になっているのを取ったのか、落ちているのを取ったのか、
今は記憶がありません。その後の衝撃的な体験でその状況が
記憶から消えてしまったのかもしれません。

私は洋服で柿を拭いて思いっきり皮もむかずにかじってみました。

その柿が誰も取らずに枯れ木に花火がついているようになるまで
放置されている訳がその時わかりました。

そう、渋柿だったのです。がく〜(落胆した顔)

一目散に家へかえって、水道にしがみつきました。
子どもには強烈な味で、何回うがいをしても渋さは消えませんでした。
初めて、渋柿というものがあることを知りました。もうやだ〜(悲しい顔)

二度と人の家の柿を黙って取るようなことはしなくなりました。
posted by インチョウ at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 自分史

2007年06月18日

生まれてすぐの話

こんにちは、院長です。
前回の出生の秘密が一部で面白いという反応があったので
いよいよシリーズ化決定です。晴れ
実在の名前や地名が出てきますが、一部美化されています。
ご了承の上、お読みください。

生まれた時は高麗町に住んでいたようですが、
名山町にも住んでいたようです。
(記憶がない(笑))わーい(嬉しい顔)

写真が残っていますが、
私をいろんな人がだっこしてくれています。
その人たちに共通することといえば、
みんな笑って楽しそうな顔をしています。
今にも笑い声が聞こえて来そうです。

みんな幸せで楽しい生活を送っていたのでしょう。
それに、私も両親だけでなく、まわりのいろいろな
人にかわいがられて育てられたことがよくわかります。

写真の中にはもう他界された方もします。
みんなの愛情を栄養にしてこんなに大きくなりました。(笑)
自分が子どもを持って、初めて気づくまわりの愛情。
大切な人生だなと最近になって思います。ムード
posted by インチョウ at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 自分史

2007年06月11日

出生の秘密

こんにちは、院長です。
今週は自己紹介を書いてみようかなと思います。
まずは生まれる前の話
本当のことはわかりません。(笑)

私の父はタクシードライバーで母は小柄な美人でした。
写真が残っているので、今タイムスリップして来ても
十分美人で通ると思います。(笑)
父の猛烈なアタックに負け、結婚。
私を身ごもりました。

昭和38年サンパチ豪雪の1月、記録的な雪に日本中が見舞われ、
鹿児島も例外ではありませんでした。
そんな時陣痛の母を背負って、高麗橋を渡り、堂園産婦人科
今の堂園メディカルハウスまで連れて行きました。

出産まではまだ時間があるということで、父は帰宅。
しかし、そんな時生まれるもんですよね。

出産は難産で時間がかかり、吸引で頭を吸い出す形で
出てきました。

声がしません。仮死状態です。
ダメだったね。というスタッフの声を遠のく意識の中で
聞いていた母は、なんとかしてくださいと嘆願します。
いろいろ処置をしてもらい私は蘇生しました。

なんと有り難いことでしょう。
私がこの世に生を受けた瞬間でした。

その時に頭を吸引したため、水頭症のように頭が長くなり
父はとても心配したそうです。
今でも少し頭とがってるぞ。(笑)

ほどなくして頭の腫れもとれ家族との生活がはじまりました。
posted by インチョウ at 19:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 自分史